ごきげんよう。With-Time、運営者の「桐生」です。
時計好きが行き着く先、あるいは原点とも言われるパテックフィリップのカラトラバ。
その中でも1980年代から90年代にかけて製造されたRef. 3796は、現代においても特別な輝きを放ち続けています。
今まさにパテックフィリップ3796について調べているあなたは、おそらく現行モデルにはないその絶妙なサイズ感や、後継機である5196との違い、そして年々注目度が高まる資産価値について関心をお持ちなのではないでしょうか。
また、市場で見かける日本限定モデルの希少性や、実際のオーナーによるレビュー、購入後のオーバーホール事情なども気になるところかと思います。
この記事では、私が愛してやまないこの「小さな巨人」の魅力を、余すところなくお伝えしていきます。
チェックリスト
- ネオ・ヴィンテージの傑作Ref. 3796が持つ歴史的背景と特徴
- 後継機Ref. 5196と比較した際のデザインバランスとサイズ感の違い
- 素材や文字盤のバリエーションによる希少性と中古市場での評価
- 購入前に知っておくべきメンテナンス事情と個体選びの注意点
パテックフィリップ3796の歴史と特徴

With-Time
まずは、なぜこのRef. 3796というモデルが、時計愛好家の間でこれほどまでに神格化されているのか、その歴史と本質的な特徴について紐解いていきましょう。
単なる古い時計ではなく、ブランドの哲学が凝縮された一本であることがお分かりいただけるはずです。
現代の時計製造技術と、古き良き時代の手作業による温もりが同居していた、まさに「奇跡の時代」の産物と言えるかもしれません。
伝説の96を継承するカラトラバ
時計の歴史を語る上で避けて通れないのが、1932年に登場した初代カラトラバ「Ref. 96」の存在です。
世界恐慌の只中にあった当時、パテックフィリップは経営再建の一手として、ドイツのバウハウス運動が提唱する「機能が形態を決定する(Form follows function)」という理念を具現化したモデルを発表しました。
それがRef. 96であり、以降すべてのラウンド型ドレスウォッチの規範となったのです。
装飾を削ぎ落とした円形のケース、視認性を最優先した文字盤、そしてケースから一体化して流れるラグ。
これらは単なるデザインではなく、時間を読み取るという機能そのものを美しく表現した結果でした。
しかし、時代は移り変わり、1970年代に入ると時計業界は「クオーツショック」という未曾有の危機に直面します。
安価で高精度なクオーツ時計が市場を席巻し、多くの機械式時計メーカーが姿を消していく中で、パテックフィリップもまた、自らのアイデンティティを問われることになりました。
この苦難の時代を経て、機械式時計の復興が始まりかけた1982年、パテックフィリップはあえて原点回帰を決断します。
それが、初代Ref. 96の精神とスタイルをほぼ完全に受け継いだ正統後継機、Ref. 3796の発表でした。
当時、世の中の時計デザインはよりモダンに、より先進的な方向へとシフトしていました。
そんな中で、30.5mmという小ぶりなサイズを維持し、極めてクラシックな意匠を纏ったRef. 3796を投入することは、ある種の賭けでもあったはずです。
しかし、当時の経営陣であったスターン家は確信していたのでしょう。
「流行は移ろいやすいが、本質的な美しさは決して色褪せない」と。
事実、このモデルは瞬く間に目の肥えた愛好家たちを虜にしました。
懐古主義ではなく、パテックフィリップ公式サイトでも語られるような「世代を超えて受け継がれる価値」を、最も純粋な形で体現していたからです。
Ref. 3796は、単なる復刻モデルではなく、パテックフィリップが機械式時計の未来を信じて世に問うた、決意表明のような一本だったと言えるかもしれません。
絶妙なサイズ感と装着感の秘密

With-Time
Ref. 3796のスペック上のケース径は30.5mmです。
現代のメンズウォッチの標準サイズが38mmから40mm、あるいはそれ以上であることを考えると、数字だけ見れば「レディースサイズではないか?」と懸念される方もいらっしゃるでしょう。
実際、私も初めてこの時計を手にする前は、自分の手首には小さすぎるのではないかと不安を感じていました。
しかし、実機を腕に乗せた瞬間、その不安は心地よい驚きへと変わりました。
数字からは想像もつかないほどの圧倒的な存在感と、手首に吸い付くような一体感があったからです。
この「魔法」とも言えるサイズ感の秘密は、計算し尽くされたプロポーションにあります。
まず特筆すべきは、ケースから長く伸びたラグの形状です。
Ref. 3796のラグは、単に長いだけでなく、手首のカーブに沿うように優美に湾曲しています。
これにより、時計本体のサイズ以上に「ラグ・トゥ・ラグ(縦の全長)」が確保され、手首の上での占有面積が適切に保たれるのです。
さらに、文字盤を取り囲むベゼルはフラットで幅広に設計されています。
この幅広のベゼルが額縁のような役割を果たし、視線を中央の文字盤へと集中させることで、時計全体に強い凝縮感と緊張感を与えています。
30.5mmでも小さく見えない構造的理由
この視覚的なパラドックスを生み出している要素を整理すると、以下のようになります。
- 湾曲したロングラグ: 手首を包み込むようにカーブしており、視覚的な縦の長さを強調します。
- フラットな幅広ベゼル: 文字盤をタイトに見せつつ、時計全体の輪郭をくっきりと際立たせます。
- 厚みのあるケースサイド: ケース径に対して適度な厚み(約7mm強)があるため、ペラペラな印象を与えず、金無垢の塊感を演出します。
また、このケース製造を担当したのは、当時パテックフィリップのケースサプライヤーとして名を馳せていた名門「アトリエ・レユニ(Atelier Réunis)」です。
彼らの手によるケースは、現代のCNCマシンによる切削だけでは出せない、独特の温かみと鋭さが共存しています。
冷間鍛造によって密度を高められた金属は、熟練職人の手作業による研磨(ポリッシュ)を経て、鏡のように歪みのない輝きを放ちます。
特にラグの側面から先端にかけてのエッジの立ち方や、ベゼルとミドルケースの接合部のチリ合わせ(隙間のなさ)は、まさに工芸品の領域。
光を受けた時の陰影が美しく、小さくても「良い時計をしている」というオーラが周囲に伝わるのは、この卓越した仕上げのおかげなのです。
王道3796Jイエローゴールドの魅力
Ref. 3796にはいくつかの素材バリエーションが存在しますが、その中でも最も生産数が多く、かつ「パテックフィリップのアイコン」として親しまれているのが、イエローゴールドケースのRef. 3796Jです。
イエローゴールドという素材は、時に派手すぎると敬遠されることもありますが、3796のような小ぶりでクラシックな時計においては、これ以上ないほど上品な輝きを放ちます。
シャンパンゴールドやシルバーのオパーリン文字盤と組み合わせられたその姿は、温かみがありながらも凛とした威厳を漂わせており、まさに「王道」と呼ぶにふさわしい風格があります。
特筆すべきは、イエローゴールド特有の経年変化(エイジング)の美しさです。
使用環境や保管状況によって、金の色味は少しずつ深く、濃くなっていきます。
新品の時の眩しいほどの輝きも素敵ですが、時を経て少し赤みを帯びたり、鈍い光沢を放つようになった個体には、ヴィンテージウォッチならではの枯れた魅力が宿ります。
文字盤のアイボリー色も経年で少し焼けてクリーム色になり、ケースの色味と絶妙なハーモニーを奏でるようになります。
こうした変化を楽しめるのも、長く付き合える3796Jならではの特権と言えるでしょう。
スタイリングに関しては、フォーマルなスーツスタイルに合うのは言うまでもありませんが、現代のファッションにおいては、あえてカジュアルな服装にこの時計を合わせるスタイルも非常に粋です。
例えば、上質なハイゲージのニットや、使い込んだデニムシャツの袖口から、ちらりとこの小さな金無垢時計が覗く。
それだけで、大人の余裕と洗練された審美眼を表現できます。
「時計に着られる」のではなく、「時計を着こなす」感覚を味わえるのが、このモデルの最大の魅力かもしれません。
中古市場での流通量も比較的多く、価格も他の素材に比べれば安定しているため、初めてのパテックフィリップ、あるいはネオ・ヴィンテージの入門機としても最適です。
しかし、状態の良い個体は年々減少傾向にあり、良い出会いは一期一会となりつつあります。
知的なカラトラバホワイトゴールド

With-Time
イエローゴールドが「王道の華やかさ」を象徴するなら、ホワイトゴールドモデルのRef. 3796Gは「知的な静寂」を体現しています。
パッと見はステンレススチールのようにも見えるその控えめな外観は、ビジネスシーンにおいて相手に威圧感を与えることなく、しかし確かな信頼と品格を伝えてくれます。
華美な装飾を排し、本質的な質実剛健さを好む方にとって、これほど理想的な選択肢はないかもしれません。
ホワイトゴールドモデルの文字盤は、シルバーやグレー系の色味が多く採用されており、イエローゴールドモデルよりもクールでモダンな印象を受けます。
針やインデックスもホワイトゴールドで統一されているため、全体がモノトーンに近い色調でまとまり、非常にシャープな顔立ちをしています。
このクールな美しさは、都会のビル群や無機質なオフィス空間にも違和感なく溶け込み、「デキる大人の時計」という雰囲気を自然と醸し出してくれます。
ストラップコーディネートの愉しみ
Ref. 3796Gは、合わせるレザーストラップによってその表情を大きく変えるカメレオンのような一面も持っています。
- ブラック・クロコダイル(艶あり): 最もフォーマルで格式高い組み合わせ。冠婚葬祭から重要な商談まで、あらゆる公式な場に対応します。
- ネイビー・マットアリゲーター: 知的さを保ちつつ、少し若々しさとファッション性を取り入れたい時に。青系のスーツとの相性は抜群です。
- グレー・スエード: ぐっとカジュアルダウンし、休日やビジネスカジュアルに。ホワイトゴールドの冷たい輝きとスエードの温かみが好対照を生みます。
生産数に関しては、イエローゴールドに比べると圧倒的に少なく、市場で見かける機会も限られます。
そのため、探しているコレクターも多く、状態の良い個体が出てくるとすぐに売れてしまう傾向にあります。
「派手な時計は苦手だが、最高峰の時計を身につけたい」という隠れたニーズに、完璧な回答を示してくれるのがこのRef. 3796Gなのです。
控えめながらも本物を知る人には伝わる、そんな奥ゆかしさがホワイトゴールドの真骨頂と言えるでしょう。
後継機5196との違いを比較分析
「3796と5196、どちらを選ぶべきか」という悩みは、多くのカラトラバファンが一度は直面する究極の選択です。
2004年に登場したRef. 5196は、Ref. 3796のデザインコードを受け継ぎつつ、ケース径を37mmへと大幅に拡大しました。
これは、当時の時計市場における「大型化トレンド」に対応するための必然的な進化であり、現代人の体格や好みに合わせたアップデートでした。
しかし、このサイズアップによって、ある一つのデザイン上のジレンマが生じることになりました。
そのジレンマとは、ファンの間で通称「寄り目」と呼ばれる現象です。
Ref. 5196はケースを37mmに拡大しましたが、搭載するムーブメントはRef. 3796と同じ小型の「Cal. 215 PS(直径21.9mm)」を継続して使用しました。
ケースは大きくなったのに中の機械のサイズが変わらないため、スモールセコンド(秒針)の位置が、文字盤の縁ではなく中央寄りに配置されることになってしまったのです。
さらに、カレンダー機能のないシンプルな文字盤において、余白の面積が広くなりすぎたため、一部の純粋主義者(Purist)からは「間延びして見える」という指摘がなされることもあります。
対してRef. 3796は、ムーブメントサイズとケースサイズのバランスが完璧に合致しています。
スモールセコンドが文字盤の6時位置の下部、インデックスと絶妙な間隔を保って配置されており、文字盤全体に心地よい緊張感と調和をもたらしています。
この配置こそが「黄金比」であり、バウハウス的な機能美の完成形であると称える愛好家も少なくありません。
また、装着感に関しても大きな違いがあります。
Ref. 5196はラグ幅が広がり、フラットな形状になったため、手首の細いユーザーにはラグが浮いてしまうことがありますが、3796の湾曲したラグは手首の細い日本人男性の手首にも吸い付くようにフィットします。
| 比較項目 | Ref. 3796 | Ref. 5196 |
|---|---|---|
| ケースサイズ | 30.5mm | 37mm |
| スモールセコンド位置 | 外周寄り(黄金比) | 中央寄り(寄り目) |
| ラグの形状 | 細く湾曲している | 太めでフラット |
| 裏蓋 | スナップバック | スナップバック |
| 防水性 | 日常生活防水(実質非防水推奨) | 3気圧防水 |
もちろん、Ref. 5196には現代的な存在感や防水性の向上といったメリットがあり、どちらが優れているとは一概には言えません。
しかし、「パテックフィリップが本来意図したプロポーション」や「凝縮された美しさ」を求めるのであれば、Ref. 3796に軍配が上がると私は考えています。
細腕の多い日本人にとって、この3796のサイズ感こそが、実は最もエレガントに見える正解なのかもしれません。
名機Cal. 215 PSの性能と信頼性

With-Time
Ref. 3796の評価を不動のものにしているもう一つの主役が、搭載される手巻きムーブメント「Cal. 215 PS」です。
1974年に開発されたこのキャリバーは、パテックフィリップの歴史の中でも最も信頼性が高く、最も長く製造され続けている傑作ムーブメントの一つです。「PS」とは「Petite Seconde(スモールセコンド)」を意味し、その名の通り小秒針を持つシンプルで堅牢な設計が特徴です。
まず驚かされるのは、その薄さです。厚さはわずか2.55mmしかありません。
この極薄設計が、Ref. 3796の総厚約7mmというエレガントなケースプロファイルを可能にしました。
しかし、薄いからといってひ弱なわけではありません。振動数は毎時28,800回(8振動/秒)のハイビートに設定されており、携帯時の姿勢差による精度の乱れを最小限に抑えています。
また、パテックフィリップが特許を持つ「ジャイロマックス・テンプ」が採用されています。
これは、テンプのリム(外周)に埋め込まれた小さな錘(マスロット)を回転させることで歩度を調整するシステムで、一般的な時計に見られる「緩急針」を持ちません。
これをフリースプラング方式と呼びますが、緩急針が衝撃でズレることによる精度の狂いがないため、長期間にわたり高い精度を維持することが可能です。
そして、忘れてはならないのが仕上げの美しさです。
Ref. 3796は通常のモデルでは裏蓋が金属製のソリッドバックであり、ムーブメントを見ることはできません(※一部の限定モデルを除く)。
しかし、見えない部分であっても一切の手抜きはありません。
ブリッジには美しい縞模様の「コート・ド・ジュネーブ」、地板には鱗状の「ペルラージュ」装飾が施され、すべての部品のエッジは丁寧に面取り(アングラージュ)され、鏡面のように磨き上げられています。
これらの仕上げは、単なる装飾ではなく、部品の耐食性を高め、微細な塵の付着を防ぐという機能的な意味も持っています。
Cal. 215 PSのブリッジには、最高級の時計製造の証であるジュネーブ・シール(Poinçon de Genève)の刻印が打たれています(※2009年頃からパテックフィリップ・シールへと移行)。
これは、ジュネーブ州で製造されたことの証明にとどまらず、ムーブメントのすべての部品に対して極めて厳格な美的基準と機能的基準が満たされていることを、第三者機関が保証するものです。
購入後のメンテナンスについても、このムーブメントは構造がシンプルかつ堅牢であるため、適切な定期オーバーホールを行えば、親から子へ、子から孫へと数世代にわたって使い続けることができます。
維持費としてのオーバーホール費用は安くはありませんが、一生モノ、あるいは数世代モノの資産を守るためのコストと考えれば、決して高いものではないでしょう。
パテックフィリップ3796の資産価値

With-Time
ここからは、多くの人が気になる「お金」の話、つまり資産価値について深掘りしていきましょう。
時計を投資対象として見ることには賛否がありますが、パテックフィリップに関しては「リセールバリュー」を無視して語ることはできません。
生産終了から20年以上が経過した今、Ref. 3796の市場価値はどのような動きを見せているのでしょうか。
データと市場の温度感をもとに、投資的な視点も含めて解説します。
希少な文字盤と素材のバリエーション

With-Time
Ref. 3796の面白さは、約17年間という長い製造期間の中で生まれた、多様なバリエーションの奥深さにあります。
これらはコレクション性を高めるだけでなく、特定のレアモデルにおける価格高騰の直接的な要因となっています。
「みんなと同じ時計」ではなく「自分だけの特別な一本」を探せるのも、このモデルの魅力の一つです。
例えば、素材一つとっても市場評価は大きく異なります。
基本のイエローゴールド(J)やホワイトゴールド(G)に加え、近年急速に評価を高めているのがローズゴールド(R)です。
特に、文字盤自体もピンクゴールドカラーで統一された通称「ピンク・オン・ピンク(Pink on Pink)」と呼ばれる個体は、コレクターの間で垂涎の的となっており、市場に出回ると即座に高値で取引される傾向にあります。
また、最高峰の素材であるプラチナ(P)モデルは、文字盤にダイヤモンドインデックスが配されているものが多く、その圧倒的な重厚感と希少性から、別格の扱いを受けています。
| バリエーション名 | 特徴と市場評価 |
|---|---|
| シグマ・ダイアル (σ SWISS σ) | 文字盤6時位置に「σ」マークがある個体。インデックスや針に金無垢が使用されている証であり、ネオ・ヴィンテージの象徴として評価が高い。 |
| ブレゲ数字インデックス | 通常のアプライド・バーインデックスではなく、曲線的なブレゲ数字(アラビア数字)を採用したモデル。クラシック感が強く、人気が高い。 |
| Ref. 3796SG (日本限定) | 1990年代後半に日本限定で発売されたホワイトゴールドモデル。サーモンピンクやシルバーの文字盤に、シースルーバックを採用した極めて希少な仕様。 |
| Ref. 3796D (クル・ド・パリ) | ベゼルに「クル・ド・パリ(ホブネイル)」装飾を施したモデル。ローマ数字インデックスとの組み合わせが多く、Ref. 3919を彷彿とさせるデザイン。 |
特に日本限定モデル(SGやG-018など)は、製造数が100本程度と極めて少なく、世界中のパテックコレクターが血眼になって探しているアイテムです。
もし運良くこれらのモデルに出会うことができれば、それは単なる買い物ではなく、歴史的な発見と言っても過言ではありません。
当時のカラトラバの定価と現在価値
Ref. 3796が現役で販売されていた1980年代から90年代、その当時の定価は現在の感覚からすると、驚くほど抑えられたものでした。
具体的な数字は年代や為替によって変動しますが、例えば90年代前半のイエローゴールドモデルの定価は、おおよそ数十万円台後半から100万円前後であったと記憶しています。
もちろん、当時の物価や貨幣価値を考慮する必要はありますが、それでも「頑張れば手が届く高級時計」であったことは間違いありません。
しかし現在、中古市場における取引価格は、当時の定価を大きく上回る「プレミアム価格」で推移しています。
これは単なるインフレや為替の影響だけでは説明がつきません。最大の理由は、「もう二度と作られないサイズとデザイン」に対する再評価です。
現代のパテックフィリップのラインナップにおいて、30mm台前半の手巻きメンズモデルは存在せず、今後復活する可能性も低いと見られています。
つまり、Ref. 3796は「失われた技術と美学」の象徴となっており、その希少性が価格を押し上げているのです。
特に、箱や保証書が完備された「デッドストック級」の個体であれば、当時の定価の2倍、3倍、あるいはそれ以上の価格で取引されることも珍しくありません。
カラトラバ 中古市場の動向調査
2024年から2025年にかけての市場動向を詳細に分析すると、Ref. 3796の相場は「急騰」というよりも「堅調な右肩上がり」という表現が最も適切です。
ノーチラスやアクアノートといったスポーツモデルが、一時期の異常な高騰を経て調整局面に入ったり、乱高下を繰り返したりしているのとは対照的に、カラトラバ、特にRef. 3796のような廃盤ドレスウォッチは、極めて安定した資産価値の推移を見せています。
これは、流行に左右される投機的なマネーではなく、本当に時計を愛するコレクターや、長期的な資産保全を目的とした富裕層の実需に支えられている証拠とも言えるでしょう。
具体的な価格レンジを見ていくと、素材やコンディションによって明確なヒエラルキーが存在します。
まず、最も流通量が多いイエローゴールドモデルですが、こちらは比較的入手しやすいエントリーレンジでありながら、底値は着実に切り上がっています。
数年前までは100万円台前半で見つかることもありましたが、現在は状態の良い個体であれば150万円〜250万円前後での取引が標準的となってきました。
次にホワイトゴールドモデルですが、こちらは生産数が少ないため、イエローゴールドよりも一段高い200万円〜300万円前後で推移しています。
特に、ダイヤルの変色がない美しい個体は、店頭に並ぶと即座に商談が入るほどの人気ぶりです。
| ケース素材 | 相場目安 | 市場動向コメント |
|---|---|---|
| イエローゴールド (YG) | 150万円 〜 250万円 | 最も流通量が多いが、状態の良い個体は減少傾向。安定した資産価値を持つ。 |
| ホワイトゴールド (WG) | 200万円 〜 300万円 | 知的でビジネス向き。流通数が少なく、探しているコレクターが多い。 |
| ローズゴールド (RG) | 250万円 〜 400万円 | 現在最もホットな市場。ピンク文字盤との組み合わせはさらに高値が付く可能性大。 |
| プラチナ (PT) | 250万円 〜 400万円超 | 別格の存在。オークションピースとして扱われることも多く、価格は青天井に近い。 |
そして、現在最も注目すべき動きを見せているのがローズゴールドモデルです。
世界的なトレンドとして「ピンクゴールド/ローズゴールド」の人気が高まっていることに加え、3796R自体の製造期間が短かったこともあり、希少価値が急上昇しています。
価格帯としては250万円〜400万円以上で取引されることも珍しくありません。
さらに、プラチナモデルに至っては、市場に出ること自体が稀であり、価格は「時価」に近い状態です。
このように、Ref. 3796と一口に言っても、その内実は非常に多層的であり、ご自身の予算やコレクションの目的に合わせてターゲットを絞り込むことが、賢明な購入戦略の第一歩となります。
高騰するカラトラバの買取価格の背景
販売価格の上昇に連動して、買取価格もまた高騰の一途を辿っています。
「なぜ、こんなに古い時計が、当時の定価以上の値段で売れるのか?」と不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、この現象には明確な理由と、現代の時計市場における構造的な変化が関係しています。
単なるブームではなく、時計に対する価値観のパラダイムシフトが起きていると言っても過言ではありません。
第一の要因は、世界的な「スモールウォッチへの回帰(Downsizing)」というトレンドです。
2000年代から2010年代にかけて、時計業界は「デカ厚ブーム」に沸き、40mmを超えるサイズが標準となりました。
しかし、ここ数年でその揺り戻しが起きています。
欧米のファッションアイコンやインフルエンサーたちが、あえて30mm台の小ぶりなヴィンテージウォッチを着用し始めたことで、「小さい時計こそがエレガントで洗練されている」という新たな美意識が定着しつつあるのです。
特に富裕層の間では、これ見よがしな大型時計よりも、シャツの袖口に収まる控えめな時計を好む傾向が強まっており、その筆頭候補としてRef. 3796が指名買いされているのです。
第二の要因は、現行モデルの価格上昇(定価改定)による「相対的な割安感」の消失と、それに伴うネオ・ヴィンテージへの再評価です。
パテックフィリップの現行モデルは、素材高騰や為替の影響もあり、定価が数百万円から高いものでは一千万円近くに達しています。
これに対し、Ref. 3796は高騰したとはいえ、まだ比較的手の届く範囲(200万円〜300万円台)で購入できる「金無垢のパテックフィリップ」です。
「現行のエントリーモデルを買うよりも、歴史的名作である3796を買った方が満足度が高い」と判断する賢い消費者が増えているのです。
また、ネオ・ヴィンテージ特有の「安心して日常使いできるヴィンテージ」という立ち位置も、実用性を重視する現代のユーザーにマッチしています。
円安とインバウンド需要の影響
日本国内の市場においては、円安の影響も見逃せません。海外のコレクターやバイヤーにとって、日本の高品質な中古時計(USED in JAPAN)は非常に魅力的であり、割安に映ります。
彼らが積極的に買い付けを行うことで国内在庫が枯渇し、それがさらなる相場上昇を招くというサイクルが生まれています。
つまり、Ref. 3796の価値は日本国内だけでなく、グローバルな需要によって支えられているのです。
さらに、「売り惜しみ」の心理も働いています。
Ref. 3796のオーナーたちは、この時計の価値を十分に理解しており、今後も価格が上がる可能性があること、そして何より「手放したら二度と同じコンディションの個体には出会えないかもしれない」ということを知っています。
そのため、市場に売りに出される個体数が減少し、需要と供給のバランスが崩れ、結果として買取価格が高騰し続けているのです。
もしお手元に眠っている3796があるなら、それは今や立派な資産ですが、売却を検討する際は慎重になるべきタイミングかもしれません。
購入時に確認すべき重要ポイント

With-Time
もしあなたが、この記事を読んでRef. 3796の購入を決意されたなら、私はその勇気を称賛します。
しかし、決して安くない買い物であり、製造から時間が経過しているネオ・ヴィンテージモデルである以上、購入時には細心の注意を払う必要があります。
後悔しないための、プロフェッショナルな視点からのチェックポイントを共有させていただきます。
最も重要なのは、「ケースのコンディション」です。
Ref. 3796の美しさの生命線は、ラグのエッジやベゼルのシャープさにあります。
過去のメンテナンスで過度な研磨(ポリッシュ)が行われていると、ラグが痩せて丸くなってしまい、本来の凛とした表情が失われてしまいます。
業界用語で「ダルマ」と呼ばれるこの状態は、資産価値を大きく損なう要因です。
見極めるポイントの一つは、ケース側面や裏蓋にある「ホールマーク(貴金属証明刻印)」です。
これが鮮明に残っていれば、研磨が最小限に留められている可能性が高く、逆に薄くなって消えかかっている場合は、過度な研磨が行われた証拠と言えます。
次に注意すべきは、「文字盤の状態」です。
Ref. 3796はスナップバック式の裏蓋を採用しており、防水性能は現代の基準で言うと「非防水」に近いです。
そのため、過去のオーナーが汗や湿気に無頓着だった場合、文字盤に腐食やシミが発生していることがあります。
特にインデックスの周辺や針の付け根、外周部の塗装浮きなどは要チェックです。
また、文字盤が汚れたために、後から業者が書き換えた「リダン(再生)ダイアル」も市場には存在します。
リダンされた個体は、見た目は綺麗でもコレクションとしての価値は著しく下がります(ゼロ査定になることもあります)。
オリジナルの文字盤であるかどうか、信頼できるショップで必ず確認してください。
アーカイブと保証書の違い
パテックフィリップには、過去の製造記録を証明する「アーカイブ(抽出証明書)」を有料で発行するサービスがあります。
これは時計の真正性を裏付ける重要な書類ですが、販売当時の「保証書(Certificate of Origin)」とは別物です。
コレクション価値としては、当時の保証書が付属している「完品」の方が圧倒的に高く評価されます。
ただし、アーカイブしかなくても、パテックフィリップが認めた真正品であることに変わりはありませんので、実用重視であればアーカイブ付きの個体を狙うのも賢い選択です。
最後に、「メンテナンス履歴」の確認です。
Cal. 215 PSは頑丈なムーブメントですが、機械油は経年で劣化します。
直近でオーバーホールが行われているか、行われていない場合は購入後にオーバーホールを行う費用(正規店で10万円〜、専門店で6万円〜程度)を見込んでおく必要があります。
正規の修理明細書が付属していれば、過去に適切なケアがなされていた証明となり、安心材料となります。
ネットオークションや個人売買はリスクが高いため、メンテナンス体制の整った信頼できる時計専門店で購入することを強くお勧めします。
総括:資産となるパテックフィリップ3796
ここまで、パテックフィリップ 3796の歴史的背景から技術的特性、そして資産価値に至るまで、長文にお付き合いいただきありがとうございました。
最後に改めてお伝えしたいのは、この時計が持つ本当の価値についてです。
Ref. 3796は、間違いなく経済的な「資産」となり得る時計です。
過去のデータが示す通り、その価値は安定しており、今後も大きく崩れることは考えにくいでしょう。
しかし、私が思うに、この時計を持つことの最大の価値は、日々の生活の中で得られる「精神的な資産」にあります。
毎朝、リューズを巻き上げる時の心地よい感触、ふと手首を見た時に感じる完璧なプロポーションの美しさ、そして「パテックフィリップの歴史を継承している」という静かな自信。
これらは、数字では測れない豊かさをあなたの人生にもたらしてくれます。
現行モデルの大型化が進む不可逆的な流れの中で、30.5mmというこの時計が持つ「永遠のスタンダード」としての輝きは、時を経るごとに増していくことでしょう。
流行に流されず、本質的な良さを理解できるあなたにとって、Ref. 3796は単なる所有物ではなく、人生を共に歩み、やがては次世代へと受け継がれるにふさわしいパートナーになるはずです。
もし今、購入を迷っているのなら、私は背中を押させていただきます。
良質な個体との出会いは一期一会。
その一本が、あなたの人生における最良の選択の一つになることを願っています。
